税 務 関 連 情 報

2002年12月27日-002
所得捕捉率の是正に“怒れ全国のサラリーマン”(24)

★「プライバシー」を“聖域化”する感覚(2)

 少しだけ本能的・直感的な感情を抑えて「プライバシー保護」ということを考えてみよう。確かに、適当ではないところで裸を見られることや、トイレがまだ水洗ではないこと、息子が就職できないこと、娘がまだ嫁にいけないことなどが知られてしまうのは人によっては恥ずかしい。しかし、このような個人情報を対象として私たちは「プライバシー保護」を考えているのだろうか。

 これらも保護の範疇に入っても構わないが、情報が個人的・卑近的であればあるほど社会的な有用性は少なくなり、保護という以前に情報を盗もうという人も少ないだろう。ばれると困る情報がプライバシーであるが、それを知る、盗むことによって利益を得る情報を守ることが「保護」なのである。一方で、個人情報がばれて困る、恥ずかしい内容は一人ひとり異なるということがある。

 プライバシーを定義することが難しい理由がここにある。しかし、少なくとも「プライバシー保護」という場合には、個人的・卑近的な情報は些細なことであることは確かだ。ところが、多くの人は、「プライバシー」を極めて個人的な情報がばれた場合の恥ずかしさから、“聖域化”してしまい、感覚的に何を差し置いても保護することが大切だと判断してしまうのだ。

(以下次号に続く)

 

 

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