税 務 関 連 情 報

2003年02月17日-001
所得捕捉率の是正に“怒れ全国のサラリーマン”(35=特別版)

★東京会の12日のシンポジウム報告

 今回は本連載の特別版として、東京税理士会が2月12日に開催した税理士記念フェアのシンポジウムに出席した感想を報告したい。シンポジウムは「…で、どうなるの?住基ネット」と題してみんなで住基ネットを考えることがテーマである。とはいっても、基調講演やパネリストの顔ぶれを見ると、これはもう住基ネットに反対することがテーマである。

 基調講演は櫻井よしこ氏、パネルディスカッションのパネリストは櫻井氏に清水勉弁護士、森谷修一税理士、コーディネーターが依田孝子税理士という顔ぶれ。櫻井氏は「国民共通番号制に反対する会」の代表として住基ネットに反対していることは周知のこと。そして清水氏は同会事務局長である。

 基調講演の冒頭で櫻井氏は、拉致問題などの起こった背景には日本人が問題の本質に対する洞察力・想像力に欠けていることを指摘する。そこで住基ネットの本質はどこにあるにかを良く理解しないと、我々国民は危機的な状況に陥るというのが櫻井氏の主張ということになろう。では、氏は住基ネットの本質をどのようにみているのか。

 櫻井氏の主張を要約すれば、住基ネットは、セキュリティの甘さから情報漏れを防ぐことは不可能であるし、一つの番号を元に個人のプライバシーが全て収集・蓄積されて国に管理されてしまう危険性があるということだ。また、多額のコストに見合うほどの国民の利便性はなく、行政事務の簡素化にも役に立たないとの主張である。

 櫻井氏の主張の根底には、11ケタの住基番号の元に個人情報が全て集められてしまうことが既定の事実であるとの考えがある。その可能性には論及されない。住基番号の元に個人情報が「お役所に握られてしまう」のが常識的な出発点なのである。それでは誰もが住基ネットに反対するだろうが、そんな可能性には大いに疑問がある。

 これが住基ネットの本質だというのであれば、櫻井氏の洞察力を疑う。また、住基ネットによる国民の利便性は、パスポート取得や不動産登記などでの住民票添付省略の機会が少ないことなどを例示して、何百億もかけたコストに見合わないという。さらに、長野県内120自治体の調査では、9割の職員が自治体の負担が増大する割には住民のメリットがないとの結果を紹介している。

 確かに何十年かに一度の住民の必要性のためにだけ膨大なコストをかけたのであれば、それは無駄なことだろう。しかし、住民票の添付省略は一部の行政事務であって、住基ネットが利用できる264の行政事務全体の利便性・効率性を検証しなければ正しくないだろう。もっといえば、電子政府実現にかかわる将来的な役割を議論してこそ、初めて住基ネットのメリットが明らかになってくるのだ。

 まだスタートしたばかりの住基ネットのメリットだけを取り上げて、費用対効果がない、行政の簡素化にも役に立たないなどと論ずることが、櫻井氏のいう「モノの本質」を洞察することなのか。もっともそれは総務省・政府にもいえることである。住基ネットの利便性を住民票の添付省略など櫻井氏が指摘する目先のメリットでしかPRしない。もっと何十年先の将来の役割を国民に理解してもらう努力が求められる。

 櫻井氏の主張に戻るが、氏の反対論の前提はいみじくもシンポジウムに出席していた税理士の「あれでは国民や役人がみんなバカだということだ」という感想に全て表れている。民主主義国家の中で「個人情報を収集することでの国による一元管理」などを想像するためには、我々国民が無知である必要がある。もちろん役人も無能・バカである。櫻井氏が“木っ端役人”と揶揄するところに氏の前提がある。

 以上が東京会のシンポジウムに出席した感想である。櫻井氏の住基ネット反対論の前提を検証してみれば、いかに氏の考える本質というものが底の浅いものかお分かりいただけると思う。もちろん、住基ネットは完璧なシステムではない。相変わらず“ほころび”が新聞紙上を賑わしている。

 そこで「ほらみたことか」という反対論者の声にひるんでいたのでは、それこそ本質が隅に追いやられてしまう。「1本1本の木を見ていると森が見えてこない」(オルテガ=イガセット・スペインの哲学者)。「プライバシーの危機」や「わたしは番号になりたくない」などといった耳障りのいい言葉に惑わされずに、「森」を見る努力をしようではないか。

(続く)

 

 

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