税 務 関 連 情 報

2002年11月11日-002
所得捕捉率の是正に“怒れ全国のサラリーマン”(9)

 納税は国民の義務なのだが、わが国の納税者の大多数に染み付いた「税は取られるもの」という感情を容易に拭い去ることは難しい。アメリカのように、比較的歴史が浅く、希望に燃えて国民全体で建国していこうというなかでの、共通費用として育まれた税に対する考え方と、江戸の「年貢」に代表される苛烈を極めたお上による税の徴収に耐えてきたようなわが国の歴史が作り上げた考え方には絶望的な隔たりがあるように思える。

 わが国の納税者の意識を歴史・風土等のせいにして、絶望的な気持ちになっていても仕方がないことだが、申告納税制度における義務を逃れようとするものに対する罰則規定を重くするということに、なかなか国民的同意が得られないのも事実なのだ。教育水準の高いわが国の国民は、頭のなかでは納税の大切さを十分に理解していようが、いざ金を稼いで税金を納める段になると「当然の義務」という気持ちに何らかの引っ掛かりを感じてしまうらしいのである。

 何度も言うが、申告納税制度が50年を経て定着したといっても、それはシステムだけであって、納税は国民の当然の義務であるという意識までは十分に育まれてはいないのだ。申告納税制度は所得を自らが計算して自己申告する制度であるから、正しくうそ偽りなく申告するための納税に対する意識がいい加減であれば致命的ではないか。一方で、納税者の大多数を占める給与所得者、サラリーマンは、源泉徴収制度のもとに税に対する関心をそがれたまま過ごしているという現実がある。

(以下次回に続く)

 

 

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